なぜイギリスの通貨はユーロではなくポンドのままだったのか?
EU加盟国内で使用されている統一通貨「ユーロ」ですが、 EU加盟国であったイギリス国内では使われず、自国通貨のポンドが使われていました。 なぜイギリスの通貨はユーロではなくポンドのままだったのでしょうか?
[surfing_su_note_ex note_color=”#a0c8f6″] この記事のポイント 1. イギリスはユーロを導入する予定だったが使えなかった 2. ポンドからユーロへの導入移行期に導入に反対するファンドが邪魔をした 3. ファンドが邪魔をした結果、ユーロを導入できなかった [/surfing_su_note_ex]
目次
イギリスが「ユーロ」を使うか使わないかは選択できた?
イギリスでEU加盟国で統一通貨の「ユーロ」EUROを使うか、自国通貨のポンドを使うかを選択することができるのかと思う人がいるかもしれませんがそういうわけではありません。 イギリスも本来なら共通通貨のEUROに参加する計画でしたが実は参加できなかったと言うのが実情です。
そもそもEUの「ユーロ」はどのような流れで導入されたのか?
EUの前身である欧州共同体(EC)は、統一通貨「ユーロ」EUROを導入するにあたり参加国の為替レートを一定の範囲内に固定する制度を採用していました。 欧州為替相場メカニズム(EMS)と呼ばれる制度です。
EMSには欧州通貨単位 – 通貨バスケット制、加盟国の2者間の為替相場について、変動幅が平価の2.25%(対イタリアのみ6%)を超えないようにしなければなりません。 そして、段階を得て切り替えていくという流れでEURO参加国内で独自通貨からEUROへの移行をしていました。
もちろん、イギリスもこの流れで共通通貨のEUROに参加するはずでした。 しかし、イギリスはこの時、経済がよくない状況ではありましたが、為替相場では、1990年の東西ドイツの統一を受け投資の活発化により、ドイツの通貨マルクが上昇を始め、これにつられる形で、英ポンドも上昇。 そのまま、共通通貨のEUROに参加と思われていました。
イギリスの「ユーロ」EURO導入を妨げた黒幕とは?
経済状況がよくないイギリスでしたが、ドイツの通貨マルクの上昇につられる形で上昇する英ポンドでしたが、この「ポンドの為替レートは実体価値よりも高くなっている」現象に 目をつけたのが、ジョージ・ソロス氏率いるヘッジファンドでした。 ジョージ・ソロス氏とは、 1930年にハンガリーのブタペストで誕生。 世界経済を陰で動かしていると称されることもあるユダヤ系の血を引いており、幼い頃から通貨取引を行って社会経済の知識を習得。 そしてヘッジファンドという概念さえなかった1969年、 後に世界三大投資家の1人となるジム・ロジャーズ氏とともにクォンタム・ファンドを設立し世界一有名なファンドにまで成長させた人物です。 書籍もたくさん出版されています。 そのソロス氏は、 イギリス経済が1992年には10%近くまで失業率が上昇し、景気は大きく後退。 会社の倒産は過去最悪の状態にも関わらず、英ポンドが上昇しているのは異常。 上昇は続かず下落すると判断し、大量の売りを仕掛けました。 当時のドルで100億ドル以上の売り注文を出したと言われています。 1992年、怒涛の攻勢が始まります。 9月になり、ポンドへの大量売りを加速 9月15日には激しいポンド売りにより変動制限ライン(上下2.25%)超過。 9月16日にはイングランド銀行がポンド買いの市場介入に加えて、公定歩合を10%から12%へ引き上げ、さらにその日のうちにもう一度引き上げ15%に変更。 しかし、それでもポンドは上昇せず、事実上のEMS脱退。 歴史的にこの日はブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれています。 9月17日、イギリスポンドは正式にEMSを脱退し、変動相場制へ移行することになりました。 余談ですがジョージ・ソロスは、この時のポンド売りで10億~20億ドルの利益を稼いだと言われています。
これがイギリスがポンドを使う(EUROを使えない)理由!
EUの加盟国が独自通貨から共通通貨のEUROに移行する際に各通貨の価格を一定の範囲内に固定しなければいけないルールになっていた期間にも関わらず、ソロス氏の超多額の英ポンド売りに対してイングランド中央銀行は対応しきれなかった結果、英ポンドの価格が一定の範囲を超えて下落。 共通通貨EUROの参加条件(EMS)を満たせませんでした。 そして、共通通貨EUROに参加することができなくなったのです。
結果、正解だったEURO(ユーロ)への不参加
こういった流れでイギリスは共通通貨ユーロに参加できなかったわけですが結果的にはよかった、正解だったと言われています。 その理由としては 「リーマンショック」以降、ギリシャやイタリア、ポルトガルなどユーロ参加国の債務危機が表面化し、ユーロが暴落し、ドイツのように財政が比較的健全な国も、ユーロに参加していることで、国債が下落(金利が上昇)したり、実体経済に影響するという事態も起きていますが、イギリスはあまり影響されませんでした。 また、経済破綻しかけているユーロ加盟国が多いなか、共通通貨のユーロに参加することでリスクを高め、自国独自の金融政策ができないという、経済政策、金融政策の選択肢まで減らす自体になるのを免れています。 イギリスは伝統のある国で共通通過を使うというのは国民感情的にも合わなかったと言われています。 EUを代表するドイツやフランス、イタリアなどはスタイリッシュ、イギリスはトラディショナルという感じでしょうか。
まとめ
イギリスはEUに加盟する時点で「ユーロ」EUROに参加する予定でしたが参加条件を満たすことができず今でもポンドのままだということです。 もともとEUROの統一通貨に参加を反対していたイギリスなので偶然にも条件を満たせなかったことは好都合でした。 そして、歴史的にこの日はブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれています。 しかし、イギリスの国民感情としてはホワイト・ウェンズデーと言う人もいるようです。
2017年、イギリスはEUからの離脱を決定したのでそもそもイギリスがポンドを使っていることに 疑問を持たなくなる人も増えてくるしれません。
かつてイギリスは太陽の沈まない国と言われ産業革命をはじめ、全ての先駆者であるイギリスのEU離脱は今後のEU崩壊の幕開けかもしれません。
イギリスの離脱が決定したEUの経済を引っ張るドイツですが、その経済の一旦を担うドイツ銀行にリーマンショック並みの危機があると言われている中、2018年移行のEUとEUを離脱したイギリスの明暗には 注目が集まります。 2018年の夏にはイタリアがEU離脱に舵を切るかもしれません。 もし、イタリアがEUを離脱すればこれに続く国も出てくるでしょう。
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